サルデーニャの禁断チーズ、カース・マルツゥ:ウジ虫が紡ぐ伝統と食の安全
サルデーニャの禁断、カース・マルツゥとは
世界の珍味には、様々な要因から「食べるのが怖い」と感じられるものがあります。味や香りの特異性、見た目の異様さ、そして食の安全に関わるリスクなど、その要因は多岐にわたります。イタリア、サルデーニャ島に伝わる伝統的なチーズ「カース・マルツゥ」は、これらの要因を複合的に持つ、まさに「禁断の味覚」と称されるにふさわしい存在です。このチーズは、製造過程で意図的にある生物の幼虫を発生させることで知られ、その特性から多くの法的・衛生的な問題を抱えています。この記事では、カース・マルツゥの背景にある伝統、その特異な性質、そして挑戦に伴う知見を深掘りいたします。
珍味の背景:サルデーニャに息づく伝統
カース・マルツゥは、サルデーニャ語で「腐ったチーズ」あるいは「ウジ虫チーズ」を意味します。その歴史は古く、サルデーニャの牧畜文化の中で自然発生的に生まれた、あるいは偶然発見された製法が発展したと考えられています。このチーズは、サルデーニャを代表する羊乳チーズであるペコリーノ・サルドを基に作られます。一般的なチーズ製造とは異なり、特定のプロセスを経てチーズバエ(Piophila casei)を誘引し、その卵を産み付けさせるのです。
このチーズは、サルデーニャの特別な行事や祝い事で食される伝統的な食品として、島の人々にとっては文化的なアイデンティティの一部となっています。しかし、その製法や状態が現代の衛生基準に適合しないことから、長年にわたりイタリア国内および欧州連合(EU)の規制対象となっています。
食材としての特徴:ウジ虫がもたらす変化
カース・マルツゥは、基となるペコリーノ・サルドにチーズバエの幼虫(ウジ虫)が繁殖することで特有の状態に変化します。幼虫はチーズを摂食し、その排泄物に含まれる酵素がチーズの脂肪を分解します。この作用により、チーズは非常に柔らかくクリーミーなテクスチャへと変化し、強い刺激的な風味と香りを帯びます。
完成したカース・マルツゥは、内部がゼリー状または非常に柔らかいペースト状になり、そこに数えきれないほどの生きたウジ虫がうごめいている状態です。香りは非常に強烈で、発酵が進んだチーズ特有のアンモニア臭や酪酸臭が混じり合った複雑なものです。味覚としては、ピリッとした刺激とともに濃厚な風味が広がり、舌を焼くような感覚を伴うこともあります。食感はクリーミーである一方、ウジ虫の蠕動(ぜんどう)が独特の感触をもたらします。
調理と食べ方:伝統的なスタイルと注意点
カース・マルツゥの伝統的な食べ方は、柔らかくなったチーズ部分をスプーンで掬い取り、サルデーニャの薄焼きパン「パーネ・カラザウ」に乗せて食すのが一般的です。地元の強いワイン、例えばカンノナウなどと共に楽しまれることが多いとされています。
食べる上での最大の注意点は、生きたウジ虫が非常に活発に動き回ることです。特に光に反応して飛び跳ねる性質があるため、食べる際には目などを保護する必要があると言われています。多くの挑戦者は、この飛び跳ねるウジ虫を避けるために、食べる直前にウジ虫を取り除くか、チーズをビニール袋などに入れてウジ虫が窒息するのを待つといった方法を試みるようですが、伝統的な食べ方ではウジ虫ごと食すのが本流とされています。
食の安全とリスク:非合法性の根拠
カース・マルツゥは、その製造・販売が生きたウジ虫を含むこと、および製造過程における衛生管理の問題から、EUの食品衛生基準に違反するとされ、商業的な流通が禁止されています。これは、食品中に生きた寄生虫やその幼虫が存在すること、そして伝統的な非衛生的な条件下での製造が、人の健康に重大なリスクをもたらす可能性があるためです。
具体的には、生きたウジ虫を摂取することで、腸管に寄生して症状を引き起こす「ハエ症」(Myiasis)のリスクが指摘されています。また、製造過程で適切な温度管理や衛生管理が行われない場合、サルモネラ菌や大腸菌などの食中毒菌による汚染の危険性も高まります。EUの食品安全機関(EFSA)などは、こういったリスクを理由にカース・マルツゥの商業的な製造・販売を認めていません。サルデーニャ島の一部では、伝統的な製法による製造・消費に対する例外的な措置を求める動きもありますが、公式な流通経路は確立されていません。挑戦を試みる際には、これらの潜在的な健康リスクを十分に理解し、慎重な判断が求められます。
入手方法:極めて困難な現状
EU圏内でカース・マルツゥを商業的に製造・販売することは違法であるため、市場で公に入手することはほぼ不可能です。サルデーニャ島の一部地域では、現在も自家消費用として伝統的な製法で製造されており、個人的な繋がりや地元の非公式なルートを通じて入手されるケースがあるとされています。しかし、これは非合法な取引であり、衛生状態や品質の保証は一切ありません。
日本国内でカース・マルツゥを入手することは、さらに困難です。食品としての輸入が検疫や食品衛生法の観点から認められないため、正規のルートは存在しません。インターネット上などで個人が輸入を試みるケースも皆無ではないかもしれませんが、これは法的なリスクを伴う行為であり、推奨されるものではありません。仮に入手できたとしても、輸送中の品質劣化や前述の健康リスクを十分に考慮する必要があります。
「挑戦」の視点:文化とリスクの狭間で
カース・マルツゥへの挑戦は、単に「ゲテモノ」を食べるというレベルを超えた、文化的な意味合いと、食の安全に対する認識を問われる行為と言えます。生きたウジ虫が動く様子を目にする心理的なハードル、そして摂取に伴う健康リスクを理解した上でなお挑戦を選ぶのは、サルデーニャのユニークな食文化への敬意、あるいは極限の味覚体験への純粋な探求心に起因するでしょう。
私たちのサイト「禁断の味覚チャレンジ」においてカース・マルツゥを取り上げる意義は、このチーズが持つ歴史的・文化的背景、製法の科学的な側面(酵素による分解)、そして現代社会における食の安全と伝統の衝突といった多角的な視点を提供することにあります。挑戦記録は、単なる食体験の報告に留まらず、その珍味を取り巻く複雑な事情やリスクを検証し、読者の知的好奇心を刺激すると同時に、食に関する深い理解を促す資料となることを目指しています。
まとめ
サルデーニャの伝統が生んだ禁断のチーズ、カース・マルツゥは、生きたウジ虫の存在とそれに起因する食の安全上の懸念から、公式には流通が禁止されている極めてユニークな発酵食品です。その製法、風味、そして食べる際に伴う注意点は、一般的なチーズの概念を大きく超えるものです。カース・マルツゥへの挑戦は、サルデーニャの深い食文化に触れる機会であると同時に、現代における食の安全、伝統、そして規制といった複雑な問題を体感する経験でもあります。挑戦を検討される際には、その背景にあるリスクを十分に理解し、慎重な情報収集を行うことが不可欠と言えるでしょう。